
能の行われた 西の丸御広庭
中津城引渡し終了 城番の面々 岡帰藩 能会を開く
享保二年(1717)丁酉 久忠公 御年二十歳
一、六月十七日、御目附
筧新太郎様・川勝形部様
中津御着、
十八日、御城廻御見分相済ム
一、 十九日、御目附御指図ニテ、
中津城奥平大勝大夫昌春様衆へ引渡シ相済ミ、
在番ノ面々即日引払
一、二十一日、右御届江戸へ御使者 野殿兵橘光房差立ラル
一、二十三日、中津在番ノ面々到着
一、暑中御献上詳ナラス
一、七月二日、中津御城番済セラル、
御祝儀トシテ、御広庭ニ於テ御能コレアリ、
老職始メ、外様物頭御次入ノ面々見物仰セ付ラレ、
御料理成下サル
※奥平昌成(まさしげ)別名・昌春 丹後宮津藩主を経て、
豊前中津藩の初代藩主。
※中津城の引き渡しが済み、従者として、雑用をしていた岡藩の農民も、
農繁期に村に帰れて喜んだことでしょう。
※御祝儀(として岡城御広庭・・)老職始め、外様物頭御次入ノ面々
外様物頭 いつを区切りに外様と区別しているのか。
御次入 藩主の居る御次の間に入ることの出来る身分
※御広庭ニ於テ・・。 西の丸 秋葉社の辺りと・・。(不染斎随筆)
※御次に出仕の者、御目附、吟味役、御次詰、中小性、御手医師等の外は
これ無き・・。(不染斎随筆)
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