
中津での 幕府の役人、家来とのトラブルを警戒
享保元年(1716) 久忠公 十九歳
一、十二月朔日、中津城御受取ニ付、
御家中へ仰セ出サル御條目
條 々 (その2)
一、出馬五、六日前、
塩山伝大夫・大河原広右衛門・渡辺兵蔵差遣可申候間、
御目附中江相窺差図可受事、
尤 追々注進可申越候事
一、森本増右衛門儀、
出馬二、三日前差遣可申候間、
宿陣幷士地之趣ニより野小屋をかけ、不差閊様見斗可申候、
此節之儀ニ候間、縦小屋挟、心に不応事候共、
一言之儀申間敷事
一、公儀御役人幷家来に至迄無礼仕間敷候、
彼方より理不尽之仕形有之共、令堪忍其場をのかし候ハヽ、
却而可忠義事
※御目附中江相窺差図可受事
幕府の御目付に窺って(伺う)指図を受けること。
と、常に幕府の意向に沿いながらの行動になります。
※土地などは制約があり、宿舎は狭くても文句を申し間敷(まじき)事
※公儀御役人は旗本、御家人で武士階級でしょうが、
家来は御家来とは書かれていない様に、百姓、町人身分の者が
荷物運びや御供として雇われた者達です。
※彼方より理不尽・・。 この雇われた者たちが、主人の威光を笠に着て、
岡藩の雇った荷物運びやお供の者たちに言いがかりを付けることが
予測されたと思われます。
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