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中津城受取り 家中に触れを出し 引き締めにかかる

享保元年(1716) 久忠公 十九歳

一、十二月朔日、中津城御受取ニ付、

御家中へ仰セ出サル御條目

       條 々

   此度豊前国中津城請取幷御城番被仰付、

   冥利ニ叶、難有本望之至ニ候、面々其旨を可存事

 一、別紙ニ定置候法令之通、全可相守候事

 一、此度之御用大切成事ニ候間、家老共始番頭・物頭・諸役人

一和いたし為宜可相勤候、

縦如何様之意趣意恨有之共、令勘忍、帰着之後可及沙汰候事

 一、銘々人数幷持道具を増、武器等も数為持候様に飾度事ニ候得共、

併物前ニ為似事に侯得者、手軽く小取廻しに有之様こと存侯、

不足之事も可有之侯得共、定法之通相守願ケ間敷義申出間敷候、

   若 左様之族有之侯而ハ、法令之妨ニ成、

一和一味と難申不忠之至候、其旨を可存事

一、留守中大切之事ニ候条、家老共始番頭幷諸役人之内可差残候間、

及異儀申間敷候事

一、城代城附之者共ハ素相残、城中火用心旁々無忽可相守事

※御條目の書き出しに、

中津城の受取り、お城番は岡藩にとって願ってもないことで、

有難いことであるから家中一同、そのつもりで精を出しなさい。

と云っていますが、出費を考えると岡藩の領民、家臣たちには

大変な負担であったと思います。

※2代藩主久盛公は3度の城受取、城番をしています。

1632年(寛永9年)肥後加藤家改易 

 1634年(寛永11年)府内城主竹中家改易

1647年(正保4年)肥前唐津寺沢家改易

 常に、改易された藩の家来たちが城を枕に討ち死にする想定の下に、

岡藩としては戦闘態勢を整え出陣するので、大変な準備と費用を要したと

思われます。