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華やかで大名行列のような大名火消

宝永7年(17101219日、増火消御奉書御到来とあるように、

出火の節、大御目附より増火消奉書が来て藩主が出馬します。

臼杵藩でも岡藩と同じ行動をしたと思われます。

以下、「勤番武士の心と暮らし」より紹介します。

〇絵は上段が先頭で下段の隊列が続いたものと思われるが、

稲葉家の家格を示威するために直接消火に必要のない者も

引き連れている。

御留守居役の箕浦右膳殿や御目付の稲葉司書、御物頭の大津留登、

御馬廻りの右馬之介、宋七、御先乗りの仲村喜一郎、幸之進、

馬役の与四左衛門らが九頭の馬に乗っており、そのほか御医者や

会所の御祐筆、足軽と御徒士、そして梯子二、龍吐水二、纏二、

幟旗五、鑓三などなど、大名火消とは小さな大名行列と同じような

雰囲気であることがわかった。

昼の出動だったので見物人がたくさん出ていて「稲葉様の隊列はまるで

四十七士の絵のようだ」と話していたと書いている。

※奉書火消 寛永6年(1629年)老中の名で「奉書」を諸大名に送り、

召集して消火に当たらせる。

※奉書火消を制度化 寛永20年(1643年)、幕府は6万石以下の大名から

16家を選び、4組に編成して新たな火消役を設けた。

※増火消  大火の場合の火消し支援

大名自らが火事場に向かうので火事装束は次第に華美で派手なものと

なったので、幕府ではいろいろと規制をしています。