
岩戸は藩境の 人や物の交易 の要衝だった
元禄十三年(1700)庚辰 久通公 御年三十八歳
一、二十二日、臼杵領境岩戸川飛石百姓共、
毎度争論致スニ付、
向後ハ飛石ナシニ申シ付へキ旨、
御当家郡奉行ヨリ臼杵郡奉行へ書状ニテ申シ替シ、
相済ム
其後又々飛石出来
一、十一月二十二日、寒中御献上例ノ如シ
一、十二月十八日、歳暮御献上例ノ如シ
※毎度争論致ス・・。論争の内容は書かれていませんが、
川の中の飛び石が大水の度に流れたり、動いたりするので
その補正に関係する事かと推測されます。
※岩戸には今でも大水の時は浸かってしまう沈み橋があります。
※岩戸は、岡藩と臼杵藩の境界にあり、藩の目を盗んで商売を行うのに
都合のよい位置にあった為、その取り締りと専売品、関税品を扱う
中継問屋が設置されます。
藩の財政が苦しくなるにしたがって、ここを通る品物すべてに
課税をしたようです。
しかし、武士が金銭を扱うわけにはいかないので、
指定商人に中継問屋を経営させ、その中から利益の一部を
上納させていたようです。(清川村史)
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