イメージ 1

     裁判資料として作られた目黒山型模型1.9m×2.62

余談 宇和島藩と分家吉田藩の山争い

元禄十二年(1699)己卯 久通公 御年三十七歳

くじゅう連山三宅山 御当家御領分(岡藩)に決まる。

これに関連して大変珍しく、資料も沢山残っている伊予の山争いを

紹介します。

〇明暦3(1657)の夏、宇和島藩から分封され、吉田藩三万石が創立され

   ました。

このために、事件の起きた目黒村は宇和島藩領の村々に囲まれた

吉田藩の飛地となりました。

〇事件は明暦4(1658)の春、目黒村の庄屋長左衛門が宇和島藩の杣人を

取り押さえたことに始まります。

長左衛門は隣の宇和島藩領次郎丸村の庄屋兵左衛門に報告して、

目黒村でこの事について話し合を持ちましたが、利害関係が絡み

まとまらず、宇和島藩、吉田両藩で扱う事件となりました。

両藩では庄屋の申し立てや調査をして協議しましたが決まらず、

山の境が定まらないまま両藩の入相山として、当分の間材木の伐採を

しない申し合わせをしました。

※資料 目黒ふるさと館、愛媛 南予にきさいや!