
元禄四年(1691)辛未 久通公 御年二十九歳
一、正月二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ
一、四月二十八日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、
御拝領例ノ如シ
一、五月十九日、江戸御発駕、美濃路御通行
一、六月朔日、伏見御着、
三日、京都御勤、
一條様並ニ政所様へ御出、
五日、大坂御着、六日、御勤、
十一日、播州室ヨリ御乗船、
二十日、三佐御着、
二十二日、御帰城
一、七月十八日、御在着御礼、
御使者山岸坂右衛門垂勝差上ラル、
御献上例ノ如シ
一、十月晦日、大船山へ御参詣、直ニ長野へ御湯治
一、十一月七日、御帰城
一、十二月朔日、長野へ御湯治、七日、御帰城
※たびたびの京都訪問は、一條冬経と近衛基熙の関白就任に
関係した宮廷内の争いが関係しているのでしょうか。
※長野湯治とは、長野組大庄屋宅に建てた御茶屋に投宿して
桑畑の葛渕温泉で湯治をすることをさしている。
長野湯治の始まりは元禄4年(1691)10月31目から
11月7日までの7泊8日の湯治だった。長湯町誌
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