
元禄二年(1689)己巳 久通公 御年二十七歳
一、正月二日、年始御礼、御献上・御拝領例ノ如シ
一、四月朔日、山内民部豊房様揚屋敷御受取ノ節、御立合
一、二十六日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ
一、五月二十一日、江戸御発駕、美濃路御通行
一、六月二日、伏見御着、
三日、京都御勤、一條様並ニ政所様へ御出、
四日、大坂御着、五日、御勤、
六日、同所御乗船、
十八日、三佐御着、二十一日、御帰城
一、七月十一日、御在着御礼、
御使者青木孫之進村貞差立ラル
※山内民部豊房 土佐藩の第5代藩主
山内氏の分家、武蔵指扇山内氏3000石を支配する旗本であった。
元禄2年(1689年)高知山内家の婿養子となる。
※揚屋敷(あがりやしき)御目見以上の幕臣(旗本)、身分の高い僧侶、
神主等が収容された牢屋敷。
身分の高い者を収容していたため、ほかの牢より
設備は良かったようです。
※山内豊房が何故、揚り屋敷に入れられたのか、又、出る際に
久通公が何故立ち会ったのか分かりません。
※美濃路 宮宿・東海道追分、名古屋から清州~羽島~大垣~米原
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