
寛文八年(1668年)戊申 久恒公 御年二十八歳
一、(7月)二十二日、老職中川蔵人三英病死
一、九月朔日、蔵人嗣子ナキニ依テ、
弟戸伏三弥 後助之進ト更ム 三長ニ、家督
千五百石ノ内千二百石成下サレ、老職仰セ付ラレ、
弟求馬ニ三百石成下サル
一、二十五日、二十六日、二十八日、日数三日、
御家督御祝儀トシテ、碧雲寺ニ於テ御自身御能コレアリ、
御家中在町トモニ拝見仰セ付ラル
※老職中川(戸伏)蔵人三英 九郎兵衛三種の嫡男 千5百石
※戸伏三弥 後 助之進 九郎兵衛三種の次男 千2百石
※7005 久山公御代、碧雲寺にて御自身、御能これある時の事。
月番の古牒に見ゆる大槩。 不染斎随筆より
1、寛文8年戌申の秋9月25日、26日、28日
御家督、御祝義の為、七里碧雲寺にて御能これあり。
1、右、拝見の面々衣服は小袖麻上下着用。方丈にて拝見これあり。
1、右、御能当日未明より碧雲寺に出入り多人数これあるに付、
うろんなる者、相改め通し間敷き旨、番人に堅く申し渡しこれあり。
1、右、御能に付、大手 近戸両御門前、
夜半より台提灯、御門の両脇へ灯し、
御両殿様の御供に罷上る者の外は御能拝見にまいる者、
下原口より入り 御城中通る事相成らず。
1、御能これある内、
夜中御家老共宿より七里へ人遣り度き事これある節は、
留主にさし置家来の者、切手持参の筈。
尤も家来の者合印御門番所に差出しにて改めの事
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