
寛文十三年(1673年)癸丑 久清公 御年五十九歳
一、六月二日、去月二十五日長崎ヘヱケレス船入津ニ付、
彼地ノ様子 聞合セトシテ、
御徒士 長島喜左衛門遣ハサル
延宝三年(1675年)乙卯 久清公 御年六十一歳
一、二月二十七日、御六男清八様御逝去 久恒公御譜ニ委シ
延宝八年(1680年)庚申 久清公 御年六十六歳
一、五月十四日、光顕院様御病気ニ付、
御出府トシテ岡城御発駕、
十五日、三佐御着ノ処、御順快ニ付、御出府御無用ノ旨、
酒井雅楽頭忠清様ヨリ御書御到来、
直ニ御帰城、
御伺トシテ衣笠平作親信 御差立
※ヱケレス船入津 イギリス船入港
寛文13年5月25日 1623年以来途絶していた日英間の通商再開を
求めてイングランド船「リターン号」が長崎に来航。
※光顕院 久盛公の奥方。久盛公の死後剃髪、光顕院と称した。
※酒井雅楽頭忠清 大老 将軍家綱を補佐して殉死禁止令や、
陸奥仙台藩62万石の伊達家で生じた伊達騒動(寛文事件)や、
延宝年間に越後高田藩で生じた越後騒動などの裁定に関わった。
※御年譜から記載が無くなった、岡藩の軍事施策。
火器の開発、軍制、演習など、古文書記録から少しずつ、
久清公の行ったことを紹介したいと思っています。
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