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万治三年(1660年)庚子 久清公 御年四十六歳

一、二十七日、切支丹宗門ノ者共ノ儀ニ付、

長崎政所黒川与兵衛様ヨリノ書翰

   一筆申入候、然者山城守殿御領分之内

きうらばた村之 喜右衛門、年六拾四、五、

いだ之内大工川村之 庄左衛門、年六拾程、

きりしたん宗門之由訴人有之候間、

  早々召捕、爰元へ可被差越候、

将又此状 細川越中守殿家来衆へ言伝進候、

※きうらばた村 豊後大野市千歳木浦畑

※いだ     豊後大野市犬飼井田  大工川村は不明

※耶蘇会士日本通信 千歳地方のキリストの布教報告

※豊後より印度の耶蘇会のバードレ及びイルマン等に贈りし書翰 

井田の教会には既に約200余人のキリシタンあり

※千歳村誌より

※長崎政所黒川与兵衛様ヨリノ書翰

岡藩の木浦畑と井田のキリシタンを、長崎に、訴人有之候

  訴えた人がある。

 疑問・なぜ岡藩の役人、切支丹改めに訴えなかったのだろう?

    岡藩に訴え出ても取り上げてくれない?

    一農民が長崎まで訴え出るだろうか?