
明暦二年(1656)丙申 久清公 御年四十二歳
一、七月朔日、御目附下曽根三十郎様・
小坂助六様 肥後ヨリ御上り、
今市御通行ニ付、
御馳走トシテ中川藤兵衛重治 今市へ罷越ス
一、十二日、尾州徳川光友卿五十人組ノ徒士衆
塚本小市郎 敵討致スニ付、公儀ヨリ御預ケ
此節 兄弥五兵衛ハ大久保加賀守様へ御預ケ、
中兄左助ハ切腹仰付ラル御評定所ニ於テ町御奉行ヨリ御渡シ、
九月二日、江戸出立、二十二日、岡着、
中川頼母資長居屋敷ノ下ニ新宅稠ク構へ差置ル
一、八月二十五日、先達テ府内ヘノ御目付斎藤左源大利政様・
津田平左衛門正方様御下リニ付、
御対顔トシテ三佐へ御出、
二十七日、終日御饗応、
二十八日、御帰城
※御目附下曽根三十郎・・。幕府から肥後藩に目附として派遣されていた。
※中川藤兵衛重治 中川左馬允重直嫡子 2千300石 古田氏
※中川頼母資長 中川助兵衛資弘嫡子 2千740石 熊田氏
※府内ヘノ御目付・・。 いわゆる、豊後目附の2人が岡藩の三佐港に
着くので、久清公が御迎え、饗応したのでしょう。
※津田平左衛門正方は承応三年(1654年)6月に肥後目附として、
今市を通り熊本に赴任しています。
※塚本小市郎の預かりについて、
敵討ちなので、相手の行動も考え、万全を期して岡藩から
物頭4人、侍6人、足軽60人、江戸まで迎えを差し向けたら、
御老中酒井雅楽頭・松平伊豆守から人数が多すぎる、少人数で
道中目立たぬようにと指示されています。
コメント