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ウィキペディア 狩野安信『朝鮮通信使』大英博物館蔵1655年。

承応四年(1655年)乙未 久清公 御年四十一歳

一、(4月)十三日、年号改元

明暦元年

一、六月十七日、朝鮮人来朝ニ付、豆州三島駅ニ於テ

御馳走役仰セ蒙ラル、

御相役 相良壱岐守頼寛様

 柳営目録八日ニ作ル

一、二十日、此節御代々御神主始テ御出来ニ付、

御書院ニテ題主式行ハセラル、

二十一日、始テ御祭コレアリ

一、八月日詳ナラス 若殿様 芝三田御下屋敷へ御移徏(ちょく)

御拝領ノ年月詳ナラス

一、九月五日、重陽御献上御時服

一、十九日、今度朝鮮人御馳走ノ間ニ、

豆州三浦へ御湯治ノ御願済セラル

一、同日、江戸御発駕、二十一日、三島御着、

二十六日夜中、朝鮮人来着、

小林斎宮政次・秋岡彦右衛門正綱立

挑灯百張迎トシテ遣サル、

翌二十七日、朝鮮人発足、

荷物ハ箱根駅マテ村上五右衛門コレヲ送ル

一、十月三日、三島ヨリ同国三浦へ御湯治、浄国寺ニ御逗留

一、十一月朔日、三島へ御帰座

一、四日、朝鮮人同所帰着、翌日、発足、即日同所御発駕、

七日、御帰府

※相良壱岐守頼寛  さがら よりひろ、肥後人吉藩の第2代藩主

※柳営目録  幕府の分掌ごとの記録簿

※若殿様   岡藩4代藩主久恒公

※挑灯(ちょうちん)提灯、提燈