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承応四年(1655年)乙未 久清公 御年四十一歳

一、二月十四日、御自筆ヲ以テ仰セ出サル (つづき)

  一、自然異国船来朝、或者近国不慮之儀出来、

  一、出馬之砌、或者人数計差遣候刻、中一日之用意

    ニ而無滞参候様ニ常々相嗜可申候

  一、家中武具#人積不図改可申候間、分相応ニ

    相嗜可申候事

  一、来年帰城之刻、家中之馬、自身乗方見可

    申候間、内意可申聞侯事

一、日詳ナラス 家中是マテ地方ニテ知行渡リノ処、

御倉米渡り仰セ出サル

一、十六日、岡城御発駕、晦日、大坂御着

一、三月六日、京都御発駕、十七日、江戸御着

一、十八日、御書院ニ於テ、心鉄公大祥忌ノ御祭コレアリ

儒法御祭是ヨリ始ル

一、四月三日、御参勤御礼、御献上御太刀目録

※(想定として)出馬之砌(みぎり) 出馬の際に

  非常時の心構えを説いています。

※知行渡リ・・。 家来は自分の知行地から年貢米を集めていたが、

         領内の年貢を藩の倉に全部集め、

そこから倉米として渡すようにした。

※心鉄公大祥忌  久盛公 法台院殿心鉄宗安大居士

    亡くなった25ケカ月目には「大祥の祭」を行なった。  

    儒教の教えに従った儀式のようです。