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 天正十年(1582年)壬午 清秀公 御年四十一歳

一、(6月)十二日朝、御備ノ一ノ先キ山崎ニ進ム処ニ、

高山(右近)勢山崎ノ町ニ入リ、南門ヲ打テ一人モ通サス、

時ニ急雨一通り降過テ、高山カ人数火縄ノ火消エ、

口薬ヲ濡シ遅々ス、

御当家(中川)先手ノ者ハ町屋ノ檐(ひさし)下二雨ヲ避ケ、

火縄ヲ濡サヽル故(濡らさざる故)、脇道ヲ廻り、

(明智光秀)惟任力先手ニ取掛り、鉄砲ヲ始メテ取結フ、

偖(さて)又 山ノ手ノ御人数ハ夜ノ内ヨリ(天王山に)押登ル、

一番中川淵之助重定 絶頂ニ至ル、未タ時刻早ケレハ、

アル岩陰ニ居眠ル、山川小七右衛門コレヲ見テ、

窃(ひそか)ニ前ヲ過キテ山ノ鼻ニ進マントス、

其時(淵之助)目ヲ覚シ、未夕時刻早シ、

必ス誤ツコトナカレト固クコレヲ制ス、

※山川小七右衛門の御子孫が今も竹田にいます。

 家系図を大切に保存しています。