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 寛永十五(1638)年戌寅 久盛公 御年四十五歳

一、(1月)十二日、

原ノ城 去ル元日 総攻ノ注進コレアルニ付、

御在所ヘノ御暇下サレ、

御諚次第、彼地へ出陣致スヘキ旨仰セ蒙ラル

一、十三日、横田・下石・家原・熊田ノ三士島原へ参着、

御役人中へ御書並ニ御進物差上ル

一、日詳ナラス 江戸御発駕

※原城の総攻撃が失敗したことが、江戸に伝えられ、

 やっと、久盛公は岡に帰ることが許されます。

 命令があったら島原に出陣するようにとのこと、

島原出陣は前々から幕府に要請していたことです。

※幕府役人に対して岡藩は非常に気を使っています。

 寛永14年12月29日、上使小倉御着ニ付、中川玄蕃長房・

中川勘解由景吉 御使者相勤ム、御進物ハ御受ナシ・・。

小倉まで行っての御出迎え、御進物。

島原に到着したら、又御進物。

※この時期だけは、何故か江戸出発、岡帰城の日が不明です。