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 寛永十五(1638)年戌寅 久盛公 御年四十五歳

一、九日、老職ヨリ熊本老職へ、

山城守儀 島原ノ上使へ使者差遣シ、

  出陣ノ問合セ致シ候、

其返事次第ニテ、其御領内 泊々ノ兵粮米・

  馬ノ飼大豆等 替ハセノ儀並ニ渡海船ノ儀共 相頼ノ旨申遣ス、

且又 島原ノ様子 注進ノ為メニ、坂梨・大津・川尻三箇所ニ

飛脚二人ツゝ、差置度旨モ掛合ニ及フ

※山城守 久清公 寛永12年山城守に任ぜられる

 久清公から松平伊豆守信綱へ島原に出陣の許可を求めたようです。

 久清公はこの年24歳になっていますから、出陣しても

 おかしくない年齢です。

※肥後熊本細川藩の老職に御願いしたのは、

① 松平伊豆守の返事次第では、出陣するので、

肥後藩の兵粮、馬の飼料等を使わせてほしい。

あとで、使った分は御返ししますから。という事でしょう。

 物資輸送を後に出来ると、迅速な軍事行動がとれますから。

 ② 川尻港から島原まで部隊を輸送してほしい。

 川尻港は緑川の河口港で明治初年まで繁盛していたようで、

 土蔵造りの商家がまだ残っています。

 ③ 通信網の整備。

 川尻は、島原の情報が一番先に届くところ。

 大津、坂梨ともに肥後街道の宿場町。