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 寛永十一年(1634)甲戊 久盛公 御年四十一歳

一、八月日詳ナラス 公方様去ル三日大坂城ニ渡御、

五日、京都へ還御ニ付、中川玄番長房 岡二帰ル

一、十八日、御当家ノ医師池田伊豆召篭ラル、

其故ハ 先達テ一伯様御番此方様御受持ノ砌(みぎり)、

彼方御召仕ノ女中腫物相煩フニ依テ、療治御頼ナサレ度旨ニ付、

御目附大久保甚左衛門忠直様・朝倉仁左衛門在室様へ御相談ニテ、

伊豆へ療治仰セ付ラレシ処、

日根野様御入部ニテ右御番御引渡シニ相成、

其後ハ一伯様衆へ通路一切無用ノ旨、堅ク仰セ出サル、

然ルニ伊豆如何心得違ケルカ、

一伯様御内大山五左衛門・牧五兵衛方へ、

右病人ノ儀ニ付書状遣ハシ、両人ヨリモ返書コレアル旨、

                     以下次回

※此方様御受持ノ砌(みぎり)

 中川久盛公が一伯様の受持ちだった時

※彼方御召仕ノ女中

 一伯様の御召で仕えていた女性

 この女性は、一伯様にとっては大事な女性だったようです。

 名前も素性も分かりませんが、屋敷から一歩も外に出ることが

 出来なかったのでしょう。