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 寛永十一年(1634)甲戊 久盛公 御年四十一歳

一、(閏7月)三日、府内城中ニコレアル南蛮ノ長石、京都へ差登セラレ、

公方様へ差上へキ旨、中川玄蕃長房へ仰セ遣ハサル

一、日詳ナラス 京都二於テ公方様へ御料理道具御献上

一、日詳ナラス 日根野織部正様へ府内城御引渡シノ為メ、

(久盛公は)竹中家ノ老職不破蔵人屋敷へ御移り、

城中ハ中川志摩(壱岐更名)重治ニ命シテ守ラセ置ル

一、十三日、日根野様府内御着アリ、即チ城御引渡シ相済ミ、

即刻御発駕、御人数一同三佐マテ御帰着

※この状況下でサンチャゴの鐘が府内城に在ったとは思えません。

※長石にはいろんな光を放つものがあるようです。

虹のような光を放つラブラドライト

赤い色のサンストーン(日長石)など。

※月長石 創元推理文庫があります。推理小説の古典ですね。

 「南蛮の長石」で50年前に読んだことを思い出した。

ウイルキー・コリンズ、中村 能三 訳

 月の光を放つインド寺院の宝。イギリス人の家から消えた謎を追う・・。

※日根野織部正吉明

幕府から、寛永15年(1638年)島原の乱、正保3年(1646年)には

長崎のキリシタン取締りを命じられた。

明暦2年(1656年)に死去。

嫡男はその前に死亡。

日根野吉明は死の直前、幕府に弟高当(高明)の息子吉重の長男を

末期養子に願い出たが、当時の定では吉明の願い出は受け入れられず、

吉明の死をもって大名としての日根野氏は断絶。

一族は旗本として存続した。(ウィキペディア)