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 寛永六年(1629)己巳 久盛公 御年三十六歳

一、正月十日、伊豆浦 石積御用船三艘、三佐出船、

乗組四十五人内 水主船頭三人、平水夫十六人

一、二月日詳ナラス 石船大坂ニテ修覆出来、江戸へ差廻ス

一、三月日詳ナラス 御鷹ノ雁御拝領

一、十五日、大坂北浜過書町ニテ御蔵屋敷御買上

其後御払ノ事詳ナラス

一、五月二十八日、御老中御招請、酒井雅楽頭忠世様・

酒井讃岐守忠勝様御入、其外御役人方御振舞

※幕府の御用をする百石積の御用船を、岡藩が三艘用意できたのは

 不思議に思います。

 朝鮮渡海が終わって(1598年)30年、その時の船が

維持されていたのでしょうか。

だとすると、物資の輸送のみならず、貿易品も扱っていたのかな?

その思考の根拠 御年譜

元和七年(1621年)辛酉 久盛公 御年二十八歳

一、七月二十七日、異国へ男女ヲ買取リ 渡海ノ事、又武具ノ類一切

  異国へ遣スマシク、其上、洋中ニテバヽン制禁ノ儀二付、御奉書

 が幕府から中川内膳(久盛)殿にきている。

※この時期、江戸城、大阪城御普請など出費が多いのに、

検地をして税の基礎は整えているが、

領民に増税をした形跡がないですね。

※御鷹ノ雁御拝領

 将軍が鷹を使って、雁狩りをする御供をしたのでしょうか。

※御老中御招請・・。

 江戸岡藩邸に老中以下諸役人を招いて接待したのでしょう。