
虎姫の会 百万歩の会を竹田駅に出迎え
寛永五年戊辰 久盛公 御年三十五歳
一、十二月八日、(久盛公)京都御発駕、江戸へ御下向
一、十日、来年江戸御普請二付、
石積船ノ儀、御触状 勢州四日市二御到来、
船用意ノ儀、同所ヨリ豊後へ仰セ遣ハサル
来年就御普請、従伊豆至江戸 石積侯舟数多入申候、
然者、御領内ニ是有 百石積以上之船、伊豆へ廻、
向井将監・石川八左衛門・今村伝四郎 差図次第 可被相届候、
海上運賃之儀者、従公儀被仰付候、三月朔日 御普請 初候、
其以前、江戸へ廻侯様ニとの御事候間、御油断有間敷侯、
御知行所ニ有之船数之目録、両三人之衆迄先様可被成
御差越候、恐惶謹言
十一月廿三日 石川三右衛門
佐久間河内
阿部四郎五郎
加藤遠江
中川内膳正殿
尚々船之儀、急度廻候様二可被仰付侯、以上
一、二十日、(久盛公)江戸御着
一、二十一日、御参勤御礼仰セ上ラル
※江戸城の石垣補修の命令書が、何故、四日市にきて、岡藩に
届けられたのか?桑名藩か藤堂藩経由か?
桑名、松平藩・久盛公の正室万姫の里、
津、藤堂藩・藤堂高虎は慶長17年秀成公の時代、
岡藩に逗留したことがある。
藤堂藩が元請けだったのかな。岡藩がその手伝いもある。
※伊豆三島から江戸へ百石積の船で石を運ぶため、三佐の湊から
伊豆まで船を差し回すことになりました。
それにしても、岡藩が百石積以上の船を持っているのが不思議です。
※海上運賃・・。
三佐から伊豆までの船の差し廻しの経費は、公儀(幕府)の
云われるままに負担するのか、公儀が手配をして、
その心配はしなくてよい。という事でしょうか。
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