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 元和十年甲子 久盛公御年三十一歳

一、正月日詳ナラス 尾平山ヨリ錫出ル

一、十二日、去年四月忠直卿 萩原御下向ノ節、御目附トシテ御附添、

府内永池二御住居ノ駒井右京進様・近藤勘右衛門様へ年始、

御使者中川加賀

一、二月朔日、大坂御城石垣御普請鍬始メ

一、晦日、年号改元

寛永元年

一、三月二十日、岡城御発駕

一、四月二日、大坂御着

一、三日、大坂御普請場 御見分

一、四日、伏見御着

※尾平鉱山の鉱害は江戸時代は記録されていませんが、

昭和20年代後半、尾平鉱山を流れる奥嶽川でカドミウムが検出され、

川の中和作業を半永久的に行うため、閉山となった今もなお中和作業は

続けられています。

私の知人で、定期的に中和機械保守点検を行っている人がいます。

※大阪城の石垣の石は、小豆島から切り出して、運んだようです。

岡藩でも小豆島駐在の石割奉行が居ました。

 黒田藩では、常駐の役人屋敷跡が今も残っているようです。