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 不染斎随筆の記述

2008 同(元和)9年癸亥、正月、此の度、一伯様一件、

最初は将軍家、越前へ御出馬の模様有之。

依之、正月27日江戸より豊州の御家老共へ下されたる御書。

                  (27日ブログ参照)

広計案ずるに、右、御書付の内に大筒50目3丁とあり、

其の頃には御当家に100目以上の大筒取扱かふ火術者流は

なかりしと見ゆ。

入山(久清)公御代に至り 松坂内蔵助豊州に来たりしより

100目の大筒自由に打事になりと思はる。

尤、慶長2年、宗鑑(秀成)公朝鮮国へおもたせありと云う。

からかねの大筒は、今、御武具庫の庭にあれども、

異形のものにて 其用ひ方不詳。

久山(久恒)公御代、元禄3年9月、武衛茂兵衛義住、

同7年6月、古田佐右衛門友政、追て召し抱へられしより、

御当家の火術いよいよ御手厚になりて 今に及ぶと見え、

又、御軍用の鉄砲、此の頃迄は 玉同4文目3分通用にて有之処、

入山公御代より 御軍陣之御手当は6文目筒にお極め被仰出。

※火縄銃の百匁の口径39.5mm程。

 大筒と言うよりも大砲ですね。やはり、抱えて打ったのでしょうか?