イメージ 1
イメージ 2
 元和七年辛酉 久盛公 御年二十八歳

一、六月、日詳ナラス 中川左馬允重直儀、

先年公儀ヨリ京都ニ差留置ルゝ処、

御親類様方へ兼テ 御頼 御歎キ 仰セ上ラルヽニ付、

豊後へ御下シ置ルヘキ旨、

御老中ヨリ仰セ渡サル

※慶長二十年5月 大坂城落城後、

中川家の家老・中川(古田)左馬允重直の

祖父古田織部正重勝(重然・しげなり)が

今度大坂内通ノ御咎メアリ、親類タルニ依テ公儀ヨリ京都二御差留メ

 されていたが、

 不染斎随筆でも先祖左馬允のことを、

 其の後、何の御沙汰もなきにつき宗安(久盛)公より

御親類方へ御頼之にて公儀御役家へ御内歎有之処、蒙御免。

同(元和)7年辛丙8月2日豊州に下着す。

 と、あります。

※左馬允の京都での7年間は御年譜には書かれていません。

 不染斎随筆に書かれていたことを、ブログ7/26〜7/29で

 紹介しています。

※古田織部は義父・重安の実子で義弟に当たる重続を美濃から呼び寄せ、

長女・せんを中川秀政の養女とした上で配偶し中川家の家臣としたという。

この重続の子孫は、重然の正系が絶えた後も中川氏の家老として存続した。

(ウィキペディア)

※優しさを感じさせる高流寺の仁王像。