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  古田織部正重勝(織部正) 中川家に由緒の事

1、織部正重勝妻は、中川佐渡守重清の娘にて、

中川家の先祖、清兵衛尉清秀の妹なり。

 織部正、此の時はいまだ、古田左助といいて、信長公の御使番にて、

知行は8千石なりしという。

 天正6年、信長公、摂州の荒木 御追討の節、中川清兵衛は荒木の幕下なれば、

此の節より信長公の幕下に随従して、軍忠あるべきよしの信長公の内命をうけ、

古田左助は毎々、茨木の城に忍び来たり、其の事を申談じ、天正6年11月、

漸 事整い、中川は信長公の御味方となる。

 されど、戰国の人心はかりがたく、然るに、古田は幸い中川の妹婿なれば、

当時、中川方にありて、信長公に奉公ぶり心をつくすべきとて、

表向きは中川家に信長公より御加勢のかたちにて、此の時より古田は茨木より

来たり、出陣等の節は中川家の合備となる。

 天正11年、江州賤ヶ嶽の役より、中川清兵衛戰死の後、

嫡子中川長鶴(後右衛門大夫秀政)若年に付、古田左助は其のまゝ中川家に

あって、長鶴に後見すべき旨、秀吉公の仰せにより所々の戰場相備にて出陣

せし処、秀吉公、大阪城御築きになるに、中川家の領地御城より近きにより、

1万石御加増下され、13万石高にて、播州三木の城主に所替え仰せつけらる。

 もはや、古田左助は中川の後見に三木に行くにおよばず、

秀吉公に仕え奉るべきよし仰せ付けられ、此の時、従五位下に叙し、

織部正に任ず。

 播州にては、織部正養子として美濃国にある同氏、古田平治重続を播州に

 呼びよせ、則、織部正嫡女を妻せ、三木にて平治へ中川家より知行2300石

 給わり、家老となり、終に世籠となれり。

子孫相続して、今の古田中務(不染斎)は織部正より12代なり。

文化13年秋8月