
(中川(古田)左馬允)
右(京都)逗留中召仕の下女に男女の子出生したりしに。
男子は、古田小左衛門正勝と云う。
後に丹後の宮津、京極丹後守高広に勤仕の処、
御暇申請け浪人して豊州 岡御城下に来り町人となる。
今の古田藤助より五代の祖なり。
小左衛門、初はいささかの酒屋なりし故に中川藤兵衛より
年に米50石宛内々にて相贈り合力したりし由。
居宅も其の頃、大庭慶問揚り屋敷地を藤兵衛より相願い
下屋敷に拝領して小左衛門に渡し遣わすと云って、
女子は京都の医師大庭慶問に嫁す。
其の子 慶問、肥後の国に下りありしを、久山公御代、元禄の始め、
古田家の由緒を以て、20人扶持被下御医師に召し出さる。
今の大庭䑓右衛門景倫が先祖也。
され共、左馬允京都へ公儀より御差し止め中
内々妾腹に出生の子共故、豊州にては表向には終に披露なしと云。
※岡御城下に来り町人となった「宮津屋」が不染斎随筆に、
しばしば書かれています。
今後、関係することがあれば紹介します。
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