明治六年(1873年) 久成公 御年二十二年四月
一、二月二日、久知様英学御修業トシ、
第三大区五小区牛込若宮町三十七番地
逢坂学社へ御入塾
一、三月四日、御奥様御通称恒ヲ廃セラレ、
御諱潔ヲ御通称卜遊ハサル
一、 十日、神奈川県横浜埋地百三拾三番寄留、
英国フヰゼラルド氏学校へ御入社、
英学御修業トシ、三ケ年御暇ノ御願、
過ル八日差出サルヽノ処、御願済セラル
一、 十三日、英国フヰゼラルド氏学校へ御入塾
一、五月一日、英国フヰゼラルド氏学校廃止ニ付、御退塾
一、 三日、横浜石川町山田種太郎方ニ御寄留
一、 同日ヨリ本目山二百十九番寄留、
英国マクレン氏学校へ御通学
一、 同日、両御奥御老女廃止
※明治4年10月 太政官の通達に
「・・特ニ華族ハ国民中貴重ノ地位ニ居り、
衆庶ノ属目スル所ナレハ、其履行固リ標準トナリ、
一層勤勉ノカヲ致シ、率先シテ之ヲ鼓舞セサルヘ
ケンヤ、其貢タルヤ亦重シ、・・」
と華族の勉学を勧めています。
※諱(いみな) 身分の高い人は他人に知られない名前を
別に持っていました。呪いや霊界の対象にならない
ようにその人を保護したのでしょう。




