明治四年(1871年)辛未 久成公 御年二十二歳
一、八月十五日、岡御発途、十六日、三佐御着、
十七日、蒸気船ニ御乗込
一、 二十日、大坂御着、
二十三日、川蒸気船ニ御乗込、同日、神戸御着、
二十五日、合衆国蒸気船コストリコ号ニ御乗込
一、 二十七日、横浜御着船、御揚陸
一、 二十八日、東京御着
一、九月六日、第(ママ) 区浅草橋場町弐拾壱番地
表間口七間、裏行弐拾八間邸宅、
第(ママ)大区横山町二丁目壱番地、
平民高木マスヨリ代金六百円ニテ御買入、
御別邸卜御唱
一、(ママ)日、大殿様浅草橋場町御別邸ニ御移徏、
同所ニ御寄留
一、二十二日、天長節ニ付御参賀御頂戴、例ノ如シ
※久成公 惜別の言葉 岡を離れるに際して
この度、朝廷から改革を仰せ出され、藩知事を免じられる
ことになった。明十五日出発して帰京するが、代々世襲して
来た者として言葉に尽くしがたい惜別の思いがある。
しかし朝廷の思し召しによって、これからは下民に至るまで
身が立つようにとの趣意があり、遠からず県治に定まった規則
も出されることであろうから、これまでどおり布告されること
を良く守り、心得違いのないようにして欲しい。
役人の命令に背くことは、朝廷に背くことであり、
銘々それぞれの生業を勧め、出精して欲しい。
※岡城は中川氏の文禄3年(1594年)の入城以来、
278年の歳月を経て、その居城としての役割を終えます。




