2020年08月

おか12
中川家と家臣の主従関係 断絶

明治三年(1870年)庚午  久成公 御年二十一歳

一、二十九日、大殿様東京御在住ノ御願済セラル

一、九月九日、重陽ニ付、

御使者ヲ以テ御献上、例ノ如シ

一、十日、行政官ヨリ御達左ノ如シ

    宮#ニ華族家人職員左ノ通

     家令  一員  

家扶  人員宜ニ任ス  家従  同

     家丁  同

(附箋)

「一、明治二年六月廿五日御達書之但書ニ、

家禄相応家令・家扶・家従以下

召仕候人員可伺出事、

右之通ナルニ、御本文行政官無之ハ不審也」

※大殿様  久成公の父・12代藩主久昭公

      明治2112日より東京に居住

※重陽ニ付 重陽の節句99日。 菊の節句

      陽数の9が重なる日で重陽という。

※宮#ニ華族  宮並びに華族

        宮・旧公家、華族・旧大名

※家人職員   旧公家、大名家の個人的な使用人。

  従来の公家、大名の主人、家来という長年の主従関係

を絶ち、家令は家老とは違い、藩に対し何の権限も

全くありません。行政官無之ハ不審也はこのことを

指していると思います。

おか10
旧藩主・久成知事に岡藩の禄高十分の一下賜

明治三年(1870年)庚午  久成公 御年二十一歳

一、(8月)十七日、先般御家禄岡藩現石高十分ノ一ヲ

下賜ル旨御達ニ付、

来ル九月朔日ヨリ五千弐百四拾石ニ御極相成ル、

依テ殿様御始御分配左ノ通

    五千弐百四拾石

       内

     弐千石  殿様   (13代藩主久成公)

     千石   大殿様  (12代藩主久昭公)

     弐百石  御奥様  (久成公の奥方)

     百石   雄三郎様 (10代藩主久貴公の2男)

     七拾石  栄姫様  (久成公の姉)

     右同   芳姫様  (久成公の妹)

     五拾石  悌次郎様 (久成公の弟)

     弐拾石  御部屋  (久成公姉弟の母)

   残り千七百三拾石 御寺々御仕向ケ、

其外臨時御入費御手宛

(附箋)「本文之通ニ引直相成度、

  一、十七日、[ ]六月廿五日諸藩へ御達第七条ノ通、

現石十分ノ一ヲ以御家禄ニ御定ニ成候、

九月朔日ヨリ御家禄高五千二百四十石云々」

※先般御家禄・・。 

明治2617日、25日の太政官通達

   ①公卿諸侯之称被廃 修理大夫、内膳正、

豊後守等の呼称・官職を廃止、

改めて華族と称するとされる。

官位 従4位下、従5位下、正1位等は残す

   ②現石十分ノ一ヲ以テ、家禄可被相定事

 

おか西御丸
岡城西御丸御殿 東半分を役所  西半分を私邸

明治三年(1870年)庚午  久成公 御年二十一歳

「七月口日御布告

府県諸藩官邸一ケ所、私邸一ケ所ニ被定候間、

其余ハ上地可致事

 [ ]無余義惜故有之、蔵地面相惜致度向ハ

東京府へ可申出事」

一、八月朔日、御使者ヲ以テ御献上、例ノ如シ

(附箋)「例ナキニ例ノ如シ、如何」

一、十四日、今般知事御拝任ニ付、

御城中御住居ノ儀、弁官へ御伺相成ル処、

公廨私邸ノ区別コレアレハ苦カラス旨御指令ニ依り、

西御丸御殿御居間書院ヨリ以西ヲ御私邸卜定メラレ、

今日殿様御始御移徏(いちょく)

(附箋)「昨年ノ御拝任ナレハ、今般ハ如何、

先般可然歟」

※岡藩官邸(旧岡藩江戸藩邸)、私邸(久成公住居)

ともに1ケ所と定められ、その他は国に返却。

   やむを得ない事情、蔵屋敷など手放せない事情が

   あれば東京府役所に申し出なさい。

※公廨(こうかい)役所のこと

   西御丸御殿の東、大手門に近い方を岡役所として

   使い、居間書院より西を岡藩知事・久成公の私邸

   として使う許可を得たようです。

※明治2年5月28日、版籍返上により岡城より退城

   鷹匠町の中川左近宅に居住していました。

おか9
岡藩の教諭書  家庭教育の原点

明治三年(1870年)庚午  久成公 御年二十一歳

一、七月、御藩内士民戸毎ニ

左ノ御教諭書ヲ下与セラル  (その2)

とかくに人ハ正直に義理探く、法度を堅ぐ守り、

己々の業を精出すこそ善人にて、則神の幸をも蒙り、

又人の恵ミをもうけ、其家栄へ、子孫繁昌すへけれ、

若気随我侭ニして己々の業をつとめす、

親子兄弟夫婦の間むつましからす、朋友に偽多く、

法度にそむくものハ悪人にて、神の御心にも叶はす、

人にも見はなされ、終には咎にもかゝるなり、

仍て藩内の者とも右の筋相守るへき事肝要なり

  此書付ハ皆人目前の壁にはり置、文字にわたらぬ

ものハ人々に尋ね、朝夕見るへし、

故に家毎に納めて家内召仕の者まて

能々教へ導くへきものなり

         明治三庚午年七月  知事

※とにかく人は正直に、ものごとの道理をわきまえて、

 きまりを守り、仕事に励むことが大事である。

 そうすることで、神様から幸せを授かり、人々からの

 恩恵を受け、その家は栄え、子孫も絶えることがない。

 若気の至りで、わがまま気随で、仕事もせず、

 親子、兄弟(姉妹)、夫婦の仲が悪く、友人同士嘘が多く、

 法に背く者は、神の御心にも救われず、世間から見放

され、ついには罪を犯すものである。

 こうなってはならないので、藩内の者は前に書いたことを

 良く守りなさい。

 この書付を壁に貼り付け、読めない者は読み方を尋ね、 

 朝夕に見なさい。

そして、家の者、召使いにまでよく教え指導しなさい。

 

おか8
岡藩 藩士、領民に人の道を説く

明治三年(1870年)庚午  久成公 御年二十一歳

一、七月、御藩内士民戸毎ニ

左ノ御教諭書ヲ下与セラル    (その1)

  人として共通を守らんに、惣て父ハ義理を専らとして、

能く其家内を正し、母ハ慈愛にして能其下々を養ひ、

子ハ孝を尽して親の心遣ひなき様能く事へ、

舅姑ハ嫁をわか産し子の如くあわれミ、

嫁としてハ実父母の如くつかえ、

夫婦ハ互に恩義を守り、共に世をわたり営むへし、

然るに何の故もなくして妻を出し、

或ハ女の道を失ひて夫の家を出るは、

皆恩義を忘れたるなり、

朋友ハ万事偽なく、互に実情を以て相交り、

悪事あらハ意見を加へ、善き事あらハこれをほめ、

若災難に逢ふて苦しむものあらハ打寄て救ひ恤ミ、

吉凶の事ある時ハ其礼を尽し、深切に世話致すへし、

※藩士、領民各戸に下し置かれた教諭書

 父・人の道、物事の正しい道筋、わけをわきまえ、  

   家族の者の行いをよくただす。

 母・慈悲の心で子どもたちを養い。

 子・親に心配をかけないようによく仕え。

 舅姑(しゅうと・しゅうとめ)夫、妻の両親・

   嫁を我が子のようにかわいがる。

 嫁・実の父母のように舅姑に仕える。

 夫婦・お互いに助け合い生きて行く。

 朋友(ほうゆう)・友達同士は真心で交わる。

   悪事をしたら意見し、良いことは褒め、

   もし、災難にあったら、皆で心配をして援助し、

   慶び事、不幸があればしきたりにより

   親切に世話をしなさい。

 

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