明治二年(1869年)己巳 久昭公 御年五十歳
一、(4月)十八日、封土御返上御願ニ付、
両殿様御始メ御退城遊ハサルヽ旨、
若殿様御代筆ノ御直書、
御藩士一統へ拝見仰セ付ラル
御直書詳ナラス
一、十九日、広橋侍従殿御逝去ニ付、
芳姫様御離縁ニナラセラル
※御退城遊ハサルヽ旨 (北村清士著書より)
3月16日、久昭公は版籍を奉還した上は、
岡城中に住むことは、朝廷に対して誠に恐れ
多く心苦しく思われて、自主的に、嫡子久成公を
初め、家族一同をも城外に退去を決意された。
※16日 藩中への布達
今般以書、致布達置候通り、版籍奉還、奉仰天裁候上ハ、
此儘城中ニ罷在侯儀、名分混乱、深ク奉恐入候。
依之久成始メ挙族退城致シ、西ノ丸ニ議政所ヲ設ケ、
謹デ 朝政ヲ奉行致候様、及下知候間、家中末々ニ至ル迄、
此旨趣特卜可相心得候也
※広橋侍従殿御逝去
慶応2年(1866年)7月12日、芳姫様
広橋大納言様ノ御嫡男侍従様へ御縁組ノ御願、
去ル五月十六日差出サルヽノ処、御願済セラル
〇芳姫の輿入れは、幕末、明治の争乱で
出来なかったようです。




