2020年06月

琵琶の首_edited-1
岡藩 東京市中 取締まりを命ぜられる

明治二年(1869年)己巳  久昭公 御年五十歳

一、(4月)二十六日、琵琶ノ首政府ヲ西御丸大書院ニ御移シ、

布政所卜称セラル

一、五月朔日、布政所開場

一、五日、端午ニ付、御参賀御献上

御太刀金二千疋、御酒饌御頂戴

一、日闕 東京市中御取締仰セ蒙ラル、

御書附左ノ通

            中川修理大夫

    其藩、市中取締申付候事

    但、大岡主膳正差免候条、交代可致候事

     五月      軍務官

一、十二日、今般東京市中御取締仰セ蒙ラルヽノ処、

四十七番向島辺御受持ニ相成

※琵琶ノ首  現在の岡城駐車場の西側でした。 

       竹田高校グランドの上のほうになります。

       以前、違う場所を記載しました。

お詫びして、訂正します。 

※疋(ひき) 幕末 1疋=25文    1文≒25円

       2000疋≒125万円

大岡主膳正 忠貫(ただつら)、武蔵国岩槻藩第8代藩主

※岡藩の役所が、高台の西の丸に移ったようです。

※略図は北村清士著書より。

岡城7
天皇 詔勅で新国家建設の意見を求める

明治二年(1869年)己巳  久昭公 御年五十歳

  詔書写

   詔朕嚮ニ汝百官群臣卜五事ヲ掲ケ、天地

   神明ニ質シ、綱紀ヲ皇張シ、億兆ヲ綏安ス

   ルヲ誓フ、然ルニ兵馬蒼卒、未タ其績ヲ底サ

   ス、朕夙夜上ハ以テ神明ニ畏レ、下ハ以テ億

   兆ニ慙ツ、今ヤ即チ親臨汝百官群臣ヲ朝

   会シ、大ニ施設スルノ方ヲ諮絢ス、是神州

   安危ノ決今日ニ在り、誠ニ宜シク腹心ヲ

   披キ、肺肝ヲ表シ、否可ヲ献替スヘシ、朕将

   ニ励精竭力、大ニ経始スル所アラントス、

   汝百官群臣ソレ最哉

      明治二年己巳四月

※詔の写し   以下のように読んでみました。

  朕(天皇自身のこと)は、お前たち官僚、群臣と

  五箇条の御誓文を掲げ、天地神明にただし、

  国家統治の根本原則を定めて、国民全体の安泰する

  ことを誓う。

  しかしながら、(函館戦争中で)兵馬はあわただしく、

  未だに、その成果をあげていない。

  朕は朝夕に、上はまつりごとをするたびに神明を恐れ、

        下は国民全体に恥じる。

  今この時、親しく政治改革に取り組んでいる、

お前たち官僚、群臣を招き、大いに施政の有り方を

諮詢する。

今まさに、日本の存亡が今日にかかっている。

  本当に、まさにこの時、心身を開き、心底から

  議論を交換すべし。

  朕、まさに励み努めて、大いに国家の道筋を立てようと

している。

  お前たち官僚、群臣もそうしようではないか。

岡城5
三条実美 新国家建設の意見を募る

明治二年(1869年)己巳  久昭公 御年五十歳

   大政一新天下更始之折柄、内外多難深ク被

   悩

   宸衷、屡

   詔勅ヲ下サレ霽肝図治被為在候処、実美

   短才微力叨ニ重任ヲ辱メ、未タ丕績

   ヲ賛成シ、

   宸襟ヲ慰シ蒼生ヲ安ンスルコト能ハス、恐

   懼措トコロヲ不知次第ニ候得共、

   聖脊優渥御責任ヲ蒙り、且今度

   勅諭之旨モ有之ニ付テハ、弥以在職諸公

   及ヒ列侯卜共ニ、心ヲ同シ力ヲ戮セ、以テ

   今日ノ計ヲ為スニ非スンハ、焉ソ国勢

   ヲ挽回シ、万世ノ基礎ヲ立、

   皇国ヲ維持シ可申哉、今日ノ事、実美独り

   諸公侯列侯ニ望ノミニ非ス、諸公列侯亦

   臣子ノ責ニ候へハ、冀ハ倶ニ

   勅旨ヲ遵奉シ、各肺肝ヲ吐露シ、忌諱ヲ不憚、

   朝廷ノ為メ建議指画有之度候也

      四月      輔相

※政治体制を一新して、新しく政治を始めるにあたり、

 内外の問題を抱え、天皇は悩み多く、しばしば、詔勅を

出され自らも政務に励んでおられるが、補翼する実美は

才能なく微力で職責を果たせず、未だに大きな功績も

あげていない。  中略

 今日のことは、実美だけ、全国の諸侯のみの希望ではない。

 全国の諸侯もまた天皇の臣子として責任がある。

 願わくは共に勅旨を遵奉して、それぞれ腹蔵なく思いを

 吐露して、忌憚なく朝廷のために国家像を提案して

もらいたい。

 

岡城4
新政府 国の方針決定に 全国から意見を求める

明治二年(1869年)己巳  久昭公 御年五十歳

一、(4月)二十二日、輔相三條様ヨリ左ノ通御口達、

尚又御書附御渡 口達覚

   今度 御国是之大基礎確定可被為在御会議ニ付、

   勅詔之通被仰出候間、各見込之処、書取ヲ以

来月四日迄ニ可被差出候、尚追々箇條ヲ以テ

   御下問被為在候間、此旨可被相心得候

   但、別段存付有之面々ハ、参朝可有言上事

     四月二十二日

※輔相(ほそう)三條実美 行政官の首座の官職 

   五箇条の御誓文により、慶応4 (1868) 年閏4

21日に新政府の組織が定められた。

議政,行政,神祇,会計,軍務,外国,刑法の1つ、

天皇に議事の奏そう、国内の事務等を監督した。

今の総理大臣の職務のようです。

※この度、国家としての方針の基礎を定めるべく会議を

 開く御詔勅が出された。

 それで、それぞれ思うところを、書面にして来月4日まで

 に差し出しなさい。

 なお、差し出した意見については、順番に従って一つずつ

 朝廷から問い合わせがあるので、

その旨、準備しておくこと

 但し、特に意見のある者達は、宮廷に参上して考えを

 申し述べなさい。

岡城3
天皇がお褒めの版籍奉還 尚、会議、公論で決す

明治二年(1869年)己巳  久昭公 御年五十歳

一、(4月)二十日、召ニ依テ御参朝ノ処、

左ノ通御達

              中川修理大夫

   今度土地人民版籍奉還可致之旨、及建言

   候条、全忠誠之志探ク

   叡感被

   思召候、尚会議ヲ経、公論ヲ被為竭、何

   分之

   御沙汰可被為在候得共、版籍之儀者一応取調

   可差出之旨、被

   仰出候事

     四月      行政官

※縦書きをそのまま、横書きにした文章です。

   行を改める意味があるようです。

   叡感  思召  御沙汰  仰出 の文字に

   天皇を意識して、行頭に配していると感じます。

※叡感(えいかん) 天皇が感嘆なさること

          天皇のお褒め

※尚会議ヲ経、公論ヲ被為竭

   なお会議を経て、公平な議論を尽くし決定される

 「万機公論に決すべし」の5箇条の御誓文の精神が

  ここにあらわれているようです。

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