慶応4年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳
ところがこの報告を兼ね一応正親町少将は京都へ御帰京
することとなった。
4月21日夕、蒸汽船富士丸に、品川港から乗船、
4月23日、下田沖に御停船、24日、同所を出発され、
27日、紀州三木の浦へ繋船し、翌28日、天候の快晴を
待って出港した。
28日夕、紀州須佐美港へひとまづ寄泊し、
翌29日、出帆したが逆風にて再び須佐美港へ引戻して
停泊した。かくて5月2日5ッ時、大阪天保山沖にようやく
着船されたが、川口洪水にて陸揚げ困難を極めた。
程なく大阪御蔵屋敷に入り、少時御休息の上、8ツ時同所を
出発し、5ツ時、牧方へ到着されて同地へ宿泊。
同3日6ツ半、御供をそろえて御出発、昼7ツ時、無事京都へ
お着きになった。
少将は休む暇なく直ちに宮中へ参内して委細御報告を申上げ、
天皇陛下より御酒肴の御饗応を戴き、9ツ時退出して丸太丁の
自邸へ帰られ長途の疲れを慰められた。
5月4日藩主(中川久昭公)の上京の由をきき警備員一同は
その宿舎に御機嫌お伺のため参上した。
処が御意をこうむり、その上お酒肴を一同に賜った。
また同11日重ねて藩主より御目録にて、特に士列拾名に対し
各7両づつを下賜された。 〇昨日と同じ、北村清士著書より
※蒸汽船富士丸 富士山(ふじやま)、元幕府海軍所属
文久2年閏8月21日(1862年)、幕府が米国に発注
元治元年(1864年)ニューヨークで竣工、千トン、乗員231名
慶応元年(1866年)12月7日、横浜に到着。
慶応2年6月(1866年)第二次長州征討に出動。
慶応4年(1868年)4月11日幕府より朝廷へ献納。




