慶応四年(1868年)戊辰 久昭公 御年四十九歳
一、(正月)二十六日、参与役所ヨリ太政官代二条城ニ相成、
参与役所モ同城内ニ設ケラレ、
尚又諸藩宮門警衛ノ者、
銘々旗幕並ニ桃燈ニ至ル迄菊御紋相用ユヘク、
且追討仰セ付ラレタル諸藩、
出兵ノ隊毎ニ菊御紋ノ幟一本ツヽ相用ユヘキ旨御達
※御年譜には鳥羽伏見の戦いで岡藩がどう動いたのか、
記述がありません。
※「岡藩勤皇思想の沿革と明治維新のあけぼの」
北村清士著 竹田市山川 岡鶴堂印刷所に
次のような記述があります。
〇翌4年正月3日に夜半から幕府方の兵が反乱を起こした。
その砲火は鳥羽、伏見が特に激しく、
京都も兵火酣(たけなわ)となった。
よって正親町少将実愛公の命によって、岡藩士らは
各々甲冑に身を固め、宮中へ急に参内し、御警衛の
任についた。
しかし大事に至らず翌4日御所から一同に対し、
慰労のための御酒肴が下賜され、一同は感激新たなる
ものがあった。




