一、 日闕 江戸愛宕社へ兼テ御寄附ノ本尊三幅並
大般若経六百巻御修覆
一、六月 朔日、御容体追々重ラセラルゝニ付、
細川越中守様御医師田中元勝御招トシテ、
御使者里見織之允熊本へ遣ハサル
一、 十一日、熊本御医師田中元勝病気ニ付、
右代り黄玄朴岡着、
然ル処、御容体御不出来ニ付、
即刻診匕コレ有様御使者遣ハサル、
夕申半刻、玄朴登城御病床へ罷出ルノ処、
休息ノ間モナク診罷出太儀ノ段御意アリ、
診仰セ付ラレ御薬御所望ノ処、
明朝得クト拝診ノ上、御医師衆相談仕、
御請仕ヘキ旨御辞退申上ル
※江戸愛宕社 標高26メートルの愛宕山の山頂にある神社。
1603年、慶長8年、徳川家康が防火の神様として祀りました。
※細川越中守様 熊本藩細川家11代藩主細川斉護(なりもり)。
※黄玄朴 黄家、細川藩の御殿医。その後、黄玄朴の家名を、
当時の弟子で現御船町出身の柴田朴民が受け、その後今日
まで代々引き継がれ、熊本市新町に黄医院があるようです。
※余談 蘭方医・伊東玄朴(げんぼく)、寛政12年(1801年)
~ 明治4年(1871年)とは関係ないようです。
※即刻診匕 岡に着いた玄朴が休む間もなく、久教公の容態が悪い
ので、診察をしてほしいとの、お使いが宿舎に出された。
※診匕(しんひ) 診察と匕(さじ)。診察と調剤。




