急養子奉願候覚 在所豊後国岡
高七万四百四拾石余 中川修理大夫
当子四拾四歳
急養子奉願候者 藤堂和泉守弟
藤堂大蔵 当子二拾四歳
私儀、於在所病気罷在慎ニ付、先達而御届
申上候通無油断養生仕候処、其後再感
ニ而腫気相増腹満強、追日疲労仕次第
差重、本復可仕林無御座候、然処、未男子
無御座候、依之若相果侯者、先達而仮養子
奉願置候藤堂和泉守弟大蔵儀、遠
由緒茂御座候間、養子被 仰付、跡式無相違
被下置候様奉願候、以上 手揮候ニ付、印形相用候
天保十一庚子年九月廿七日 中川修理大夫
水野越前守殿
太田備後守殿
脇坂中務大輔殿
土井大炊頭殿
一、十四日、御逝去ノ御届江戸ニ於テ、
御先手伊東勝之助様ヨリ差出サル
※先手組(さきてぐみ) 先手とは先陣・先鋒のこと。
戦闘時には弓・鉄砲足軽を編制した部隊として合戦に参加した。
この頃、江戸城の各門の警備、将軍外出時の警護、江戸城下の
治安維持等を務めた。
中川家は代々江戸城の門番を命じられていますので、先手組の
組頭の支配を受けたと思われます。
※御先手頭は各大名家の「御頼みの旗本衆」とされ、幕府との事前打合、
上奏の同行などを勤めるため、由緒ある旧家が務めていたようです。




