
久教公の駕籠の簾 黒塗竹簾 が許される
文政十年(1827年)丁亥 久教公 御年二十八歳
一、正月 二日、年始御献上例ノ如シ、御使者里見三郎左衛門
若君様へ右同 此節ヨリ始マル
一、二月二十九日、岡城御発駕
一、三月 二日、三佐御乗船、
十六日、室ヨリ御揚陸、山崎御通行、
二十一日、伏見御着、美濃路御通行
一、四月 七日、江戸御着
一、 十一日、是迄御駕ノ窓 簾葭御用ヒノ処、
以来黒塗竹簾ニ成サレ度旨御何済セラル
一、 十三日、公方様 太政大臣 御昇進ニ付、
御祝儀御献上、御太刀馬代銀一枚
内府様へ右同
一、 同日、内府様御位階ニ付、御祝儀御献上
公方様へ御太刀馬代銀一枚
内府様へ右同
御台様へ干鯛一箱
御簾中様へ右同
一、 二十五日、御参勤御礼、御献上例ノ如シ
※若君様 後の13代将軍家定。12代将軍になる家慶の4男
※簾(すだれ)葭(あし)
※黒塗竹簾(くろぬりたけすだれ)
大名の石高、官位、家柄によって家格が決まり、格式によって
大名の生活様式全てにおいて制限がされていたようです。
駕籠の制約もそのごく一部で、久教公が井伊家の出身ということ
で黒塗竹簾が許されたものと思われます。



