
久貞公 病気厳しく 幕府の勤めを御休み
天明六年(1786)丙午 久貞公 御年六十三歳
一、正月二日、年始御献上例ノ如シ、御使者古田左馬允
一、 三日、御献上例ノ如シ
一、二月朔日、神田橋御門御番仰セ蒙ラル、
御相役加藤遠江守泰侯様
一、五月二日、端午御献上例ノ如シ
一、六月朔日、上総国弁財天別当 百三十歳ニナリケル慈観卜云僧
御招、御居間書院ニテ御祈祷御頼ノ執行仕ル、
御両方様弁財天へ御拝コレアル
一、二十八日、暑中御献上例ノ如シ
一、七月二十五日、年来御持病ノ御痰喘、
其上御脱肛ニテ久々御出勤コレナク、
去夏以来御中風類症ニテ御手足御不自由、
当分御出勤ナサレ難ク、御長病ノ事ニ付、
御用番御老中田沼主殿頭様マテ御口上書ニテ
仰セ達セラル
※年来御持病 久貞公の以前からの持病
痰喘 たんせき、たんぜん 喘息のような病気でしょう
脱肛 腸の粘膜や痔核が肛門の外に出て来る病気
中風 脳血管の障害の後遺症
※御用番御老中田沼主殿頭 当番老中・田沼意次(おきつぐ)
時代劇では賄賂をとる老中のイメージが定着していますが、
近年では、幕府の財政悪化を改善する、重商主義政策を進め、
蝦夷地や鉱山の開発、印旛沼の干拓、株仲間の結成、銅座などの
専売制の実施など田沼意次の評価が見直されています



