2019年01月

イメージ 1

         山崎街道 椿の本陣

若殿・久徳公 参勤のため陸路を江戸へ

天明二年(1782)壬寅  久貞公 御年五十九歳

一、正月二日、年始両殿様御献上例ノ如シ、

御使者小泉勝司勝興・中沢三郎兵衛助竪

一、  三日、御献上例ノ如シ

一、二月朔日、若殿様 岡城御発駕、中国路御通行、

二十一日、伏見御着

一、三月十日、江戸御着

一、 十三日、御参勤御礼、御湿瘡気ニ付、御使者長塩千蔵親宗、

御献上例ノ如シ、

若君様へ御太刀馬代銀三枚 此節ヨリ始ル

一、四月十五日、去ル三日、豊千代様大納言御任官

且 御元服御祝儀御献上、

公方様へ御太刀馬代銀壱枚

       大納言様若君様御官位 へ右同

       御部屋様へ一種白銀弐枚

一、   同日、若殿様御献上右同

※中国路御通行  小倉から下関の赤間関に渡る陸路

※椿の本陣の帳簿に内膳正(久徳公)の記録があります、

天明2221日郡山椿の本陣(大阪府茨木市)で休憩

  御休/金弐百疋七百文 めし・同(金)百疋 御殿様御賄料

※金2百疋が7百文払いだったということでしょう。

 当時の物価変動、貨幣価値の下落もあって、現在の貨幣価値に

 換算はむつかしいですが、3百疋≒7万5千円位でしょうか。

※湿瘡(しっそう) 疥癬(かいせん)虫が寄生する伝染病

※豊千代様大納言任官  家治の後の11代将軍家斉


イメージ 1

岡藩江戸屋敷に江戸年寄役を設ける

安永十年(1781)辛丑  久貞公 御年五十八歳

一、七月三日、岡大風雨

一、 十一日、若殿様御在着御礼、御使者吉田島之丞重友差上ラル、

       御献上例ノ如シ

一、二十五日、若殿様ヨリ、御養君御祝儀御献上御太刀馬代銀壱枚、

       若君様へ右同

一、八月朔日、両殿様御献上例ノ如シ、

御使者中川図書久典・小泉勝司勝興

一、九月二日、重陽御献上例ノ如シ

一、十一月二十五日、寒中御献上例ノ如シ

一、十二月 十七日、小泉勝司へ江戸御年寄役 

此名目、此節ヨリ始ル 仰セ付ラル

一、二十一日、歳暮御献上例ノ如シ

※御養君   豊千代 のちの11代将軍・家斉

※若殿様御在着御礼 若殿久徳公が無事、岡藩に帰り着いたことを

       老中や関係の幕府要職の人々に報告を兼、

挨拶回りをしたようです。

※江戸御年寄役 江戸御留守居役と思われます。

江戸御留守居役が各藩にはいて、幕府や旗本、各藩との

折衝役(外交官)をはたしていたようですが、岡藩には  

その役職が無かったのでしょうか。

※小泉勝司勝興 安永8年から殿様の使者として毎度遣わされて

   いますので、優秀な藩士だったのでしょう。

※中川図書久典 家老 3代久清公7男久周の家系 2千石


イメージ 1

      滋賀県 賤ケ岳・大岩山 清秀公墓地

若殿・久徳公 賤ケ岳 太祖清秀公の墓 御参詣

安永十年(1781)辛丑  久貞公 御年五十八歳

一、閏五月四日、若殿様江戸御発駕 

御湿瘡気ニ付、是迄御延引 

木曽路御通行、志津箇山獄御参詣、

二十一日、大坂御着、

二十二日、同所御乗船

一、二十二日、一橋治済公 御息豊千代君、

去ル十八日、将軍御養君仰セ出サル、

御祝儀御献上、

公方様へ御太刀馬代銀壱枚、

       若君様へ右同

       御部屋様へ干鯛一箱

一、六月三日、暑中御献上例ノ如シ

一、  七日、若殿様三佐御着、

十一日、御帰城

※湿瘡(しっそう)疥癬(かいせん)虫が寄生する伝染病

※木曽路   中山道(なかせんどう)が木曽を通るので木曽路と

       よばれています。山中を69次でむすんでいます。

※志津箇山獄御参詣 賤ケ岳(中川家太祖清秀公の墓)御参詣

  木曽路を通行する理由は3つ、1つは清秀公の墓参。

  2つ目は、東海道のような大雨による川止めが無いこと。

  3つ目は、朝鮮通信使などのような混雑が無いこと。

※一橋治済(はるなり) 御三卿の一つ一橋徳川家の第2代当主。

8代将軍・徳川吉宗の孫で、11代将軍・徳川家斉の実父に当たる。

※豊千代  一橋治斉の長男。11代将軍・徳川家斉


イメージ 1

若殿・久徳公に在所(岡城)へのお暇がでる

安永十年(1781)辛丑  久貞公 御年五十八歳

一、三月二十五日、御即位ニ付、京都へ御使者中川求馬久敦、

御献上禁裏へ御太方馬代銀百両

       仙洞へ御太刀馬代銀五拾両

       女院へ白銀三枚

       新女院へ右同

       大宮へ右同

一、二十七日、右御即位済セラル、御祝儀御献上、

公方様へ二種一荷

一、四月十三日、年号改元

天明元年(1781

一、 十五日、若殿様御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ

一、二十四日、桜田組御防仰セ蒙ラル

        御相役   松平伊豆守信明様

              松平遠江守忠告様

              松平亀丸澄時様

一、五月二日、端午御献上例ノ如シ

※御即位ニ付、 光格天皇御即位に付

※禁裏(禁裡)(きんり) 天皇をあらわす

 仙洞(せんとう)退位した天皇  女院(にょいん)皇太后

 新女院 大宮についてはよく分かりません。

※二種一荷  種は肴、荷は酒樽  肴を二種類、酒1樽

※年号改元は天皇の即位と直接関係なかったのが分かります。


イメージ 1

久貞公の5女・窕姫 大久保家より離縁される

安永十年(1781)辛丑  久貞公 御年五十八歳

一、正月二日、年始御献上例ノ如シ、御使者小泉勝司、

若殿様御献上・御拝領例ノ如シ

一、  三日、御献上例ノ如シ

一、二十五日、台徳院様百五十回御忌御法事ニ付、

御香奠御献上白銀弐枚

一、二十八日、右御法事済御祝儀御能コレアリ、若殿様御見物、

紅葉ノ間ニ於テ御料理御頂戴

一、二月五日、大久保加賀守様へ入セラレル、

於窕様御不熟ニ付、御離縁御届差出サル

一、  同日、於窕様御名窈卜御更メ附サセラル

一、 十三日、御城内 中川覚左衛門広倫宅出火 

類焼ナシ三月六日御届出ル

一、二十一日、孝恭院様三回御忌御法事中、御献上氷砂糖一壷

一、二十五日、右御法事ニ付、御香奠御献上白銀弐枚

※台徳院様  2代将軍徳川秀忠

※孝恭院様  10代将軍家治の長男・徳川家基

※於窕様   宝暦9年(1759)誕生 前名線姫(充姫とも)

       母親・久貞公の正室久姫

久姫は岡藩3代藩主久清公の孫になります。

※不塾ニ付、御離縁 大久保加賀守忠顕との折り合いが悪く御離縁 

     婚姻前の記述に、何か事情のありそうな様子が見えます。

安永711月、於窕様 大久保加賀守様御母公様 御方へ御引越、

御婚姻ハ追テ御整ナサレ度旨 御願済セラル    

安永81月、於窕様大久保加賀守様へ御引越、即日御婚礼

※覚左衛門広倫宅 岡城内に覚左衛門屋敷間取り跡を復元しています。

↑このページのトップヘ