
久貞公の3男・鷹之允久徴公 水野家の養子になる
天明三年(1783)癸卯 久貞公 御年六十歳
一、四月十二日、鷹之丞久徴様、
水野日向守勝起様御急養子御相談ニ及ハルヽノ段、
御老中マテ御達シ、
十三日、日向守様御逝去、
鷹之丞様へ御忌服受サセラルヘキ旨仰セ蒙ラル
一、 十四日、鷹之丞様永野家へ御引越、御実名勝剛卜御更
一、 十六日、種姫様御結納済セラル、御祝儀御献上、
公方様へ二種一荷
大納言様へ右同
種姫君様へ一種金五百匹
御部屋様へ一種金三百匹
※鷹之丞様 宝暦8年(1758)4月1日、江戸で誕生
下総国結城藩の第5代藩主水野日向守勝起(かつおき)が
天明3年(1783年)4月12日、39才で急死したため、
緊急に養子縁組をしたようです。末期養子ですね。
下総結城藩の第6代藩主として水野勝剛(みずのかつかた)を
名のります。家格、禄高ともに岡藩中川家を上回ります。
余談として 水野勝愛(みずのかつざね)のこと
父・鷹野丞久徴(ひさあき)公が水野家の養子になる前、
安永9年(1780)久徴公の長男として江戸の岡藩邸で誕生。
父が水野家の養子になり、父に連れられ結城藩に移り、
後、父の跡を継ぎ下総結城藩の第7代藩主となりました。



