
岡藩 大手組御防 大手門の類焼を防ぐ役目
享保十二年(1727年)丁未 久忠公 御年三十歳
一、正月二日、年始御献上例ノ如シ 御使者姓名詳ナラス
一、閏正月二十四日、岡城御発駕、二十六日、三佐御乗船
一、二月十日、大坂御着、十一日、御勤、十二日、伏見御着、
十三日、同所並ニ京都御勤、一條右府兼香公ヘモ御出、
二十六日、江戸御着
一、三月十二日、御参勤御礼、御献上例ノ如シ
一、十八日、大手組御防仰セ蒙ラル
御相役 有馬左衛門佐寿純様
伊東修理亮祐永様
間部若狭守詮方様
四月十六日、御相役伊東様御免ニテ、
亀井隠岐守様仰セ蒙ラル
一、二十四日、侍中定府ノ面々、役人ノ外縁組御制禁ノ処、
向後御免成下サル
※大手組御防 火事の際はそれぞれ大手門・桜田門に集結した。
大手組・桜田組は、主に江戸城の延焼防止を目的として活動し、
江戸城内の火事以外では老中の指示を受けてから出動した。
消火の主力ではなく、火元から離れた場所で火を防ぐため、
防大名(ふせだいみょう)とも呼ばれた。(ウィキペディア)
火消の定員は大名の石高によって異なっていた。
1万石以上では騎馬34騎、足軽20人、中間・人足30人。
10万石以上では騎馬10騎、足軽80人、中間・人足140-150人。
※有馬左衛門佐寿純(ありまひさずみ)、越前丸岡藩の第2代藩主
左衛門佐(さえもんざ)
※伊東修理亮祐永(いとうすけなが)日向国飫肥藩の第6代藩主。
修理亮(しゅりのすけ)
※間部若狭守詮方(まなべあきみち)越前鯖江藩の第2代藩主
※亀井隠岐守 亀井茲親(かめいこれちか)と思われます。
石見津和野藩第3代藩主



