
幕府巡見使 岡藩に入る 北(阿蘇野)より南下 佐伯藩へ
享保二年(1717)丁酉 久忠公 御年二十歳
一、(3月)二十八日、御巡見使
津田外記正明様・
駒井求馬親照様・
大久保源太左衛門様
阿蘇野御入込、湯原御泊、
二十九日、竹田御泊、依テ三使御宿へ御勤
一、四月朔日、御巡見使宇田枝御泊、
二日、酒利、
三日、佐伯領へ御移り、
此節御附添老職中川主馬久周
一、三日、御朱印岡着
一、日詳ナラス 当年御参勤、九月中御参府ナサルヘキ旨、
十三日ノ御奉書岡ニ達ス
一、五月、端午御献上詳ナラス
※巡見使 正使1名、副使2名、計3名 それぞれに従者が付く。
諸藩への過重な負担を避けるために寛文の制で従者の定員があった。
千石以上は30名まで、千5百石以上は35名まで、
2千石以上は40名まで、2千5百石以上は45名までとした。
※岡藩、大庄屋、小庄屋そして農民負担は大変だった。そのごく一部。
御酒は禁止されていたが、「御酒と申し候ては相成らず」
「御酒は茶びんに入れ肴は和紙に包み、出し申候はば御上りなされ候」
とある。山菜料理は山間部部だから当然として、鯛、あわび、塩かもなど
農民にとって考えられない品が供されています。(宇目町誌より)
※中川主馬久周 第3代久清公7男 家老 千3百石




