
滑り瀬橋
久忠公の御郡周り 岡藩内の巡回
享保三年(1718)戊戌 久忠公 御年二十一歳
一、(4月)十五日、御在所ヘノ御暇仰セ蒙ラル、御拝領例ノ如シ
一、二十五日、江戸御発駕、中山道御通行
一、五月、端午御献上詳ナラス
一、七日、京都御勤、一候様へ御出、伏見御着、御勤、
九日、大坂御着、御勤、
十一日、同所御乗船、
十九日、三佐御着、 二十一日、御帰城
一、六月十五日、御在着御礼、御使者吉田八郎兵衛雅倚差立ラル、
御献上二種一荷
一、七月九日、中川主水重員病気大切ニ付、御入
一、十日、老職中川主水重員病死
一、八月朔日、御献上例ノ如シ御使者姓名詳ナラス
一、九月日詳ナラス 重陽御献上例ノ如シ
一、二十二日、御郡廻トシテ御発駕、中津留御泊、
二十三日、酒利、
二十四日、同所、
二十五日、重岡、
二十六日、木浦内、
二十七日、倉木、
二十八日、御帰城
水戸中納言綱條卿御逝去ノ御到来ニ付テアリ
※水戸中納言綱條(つなえだ) 父・松平頼重は水戸光圀の実兄
讃岐高松藩主・松平頼重の次男
寛文11年(1671年)、光圀の養嗣子となる。
※中川主水重員 (古田)勘解由重武次男 2千3百石
※御郡廻りの休憩所の様子
御休憩所は先ず外囲をなし、内部に青松その他の庭木を
4、5本植え、その上位に駕籠置き場所を設け、
その脇に茶具の置き場を作り、一隅に雪隠(せつちん)を
設ける。そのほか随行役人、在中役人等の詰所兼休息所を
作る等なかなかの大仕掛けにて、一か所の御茶屋場に人足20人を
要し諸費用5両を要したりとある。(宇目町誌)
※雪隠(せつちん) トイレ



