
岡城址 後方 三之丸
中津城受取り 家中互いに報告、連絡、仲良く
享保元年(1716) 久忠公 十九歳
一、十二月朔日、中津城御受取ニ付、
御家中へ仰セ出サル御條目
條 々 (その4)
一、宿陣野陣共ニ本陣廻りハ近習・物頭・足軽共ニ番所江召置、
折々本陣夜廻り 夜半代ニ可相勤事
一、先手物頭二頭足軽を召列、番所へ罷有、折々夜廻り見斗、
宜様に相勤可申事
一、本陣組頭共壱人宛相詰、取次務可申事
一、本陣馬廻共弐人宛相詰、不寝番夜半代相勤可申事
一、自然喧嘩口論等之節、其場切ニ相鎮可申候、
他陣其所江不可集候事
※本陣、野陣、番所など昼夜なく見廻り、引継ぎ交代を行うこと。
※思いがけず喧嘩口論が起きたとしても、その場で納めてしまうこと、
※他陣其所江不可集候事 よその藩陣所などへ寄り合わないこと。
各藩の奉公人が互いに連絡を取り、夜など集まって博打などを
していたと思われます。
奉公人と云っても、常時雇える経済力のある武家は限られており、
必要な時だけ臨時に雇っていたので質にバラツキがあったようです。
※武家奉公人 一般に、若党(わかとう)、中間(ちゅうげん)、
小者(こもの)、六尺(陸尺・ろくしゃく・駕籠かき)など
掃除夫,賄(まかない)方などの雑用をしていた。



