2017年11月

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貞享五年(1688)戊辰 久通公 御年二十六歳

一、二月十三日、岡城御発駕、

十五日、三佐御乗船

一、三月四日、兵庫ヨリ御上陸、

六日、大坂御着、七日、御勤、

八日、伏見御着、

九日、伏見・京都御勤、一條様並ニ政所様へ御出、

二十一日、江戸御着

一、二十六日、殿様御同道御登城、御参勤御礼、

御献上例ノ如シ

一、六月十六日、嘉祥御菓子御頂戴 此以前詳ナラス

一、八月朔日、御献上例ノ如シ

一、九月二十二日、八月二十九日中川平右衛門病死ニ付、

今日一日御精進遊ハサル

※一條様 一條摂政冬経、従一位関白・藤氏(藤原氏の)長者

     この時期、左大臣である近衛基熙が関白になれなかった

     ことから、一條冬経との間で宮廷内が揺れていたようで、

     久通公が何の用事で一條冬経に会いに行ったのか気になる

ところです。

※嘉祥(かじょう)御菓子 陰暦616日、16個の菓子または

餅を神に供えたあとに食し、疫病を払う行事。

御目見以上の幕臣に配られていたお菓子を

中川家も頂いたようです。

※中川平右衛門  田近平右衛門長伸 4千石 田近玄番長房嫡子

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貞享四年(1687)丁卯  久通公 御年二十五歳

一、正月二日、年始御礼仰セ上ラル

御大紋御献上御太刀馬代銀壱枚、

       御拝領呉服二

一、十八日、公方様 御四十二ノ御厄ニ付、

山王勧理院へ御祈祷御頼ミ、

御太刀馬代銀壱枚御持参御供

一、四月二十九日、御在所へノ御暇仰セ蒙ラル、

御拝領例ノ如シ

一、六月十日、江戸御発督、木曽路御通行、

二十五日、伏見御着、

二十六日、大坂御着、二十七日、御勤、

二十八日、同所御乗船

一、七月七日、三佐御着、九日、御帰城

一、八月六日、御在着御礼、御使者桂源内一英差上ラル、

御献上例ノ如シ

一、十二月日詳ナラス 御内証御献上 丁子釜二飾

※公方様 将軍綱吉 公方様が一般的な呼び方だったようです。

※山王勧理院 赤坂日枝神社の別当。

江戸城紅葉山にあった山王社の別当。

※御内証 将軍綱吉の世子を産んだ女性。

※丁子釜 アロマポット、芳香器

※帰国に木曽路をとると、賤ケ岳・大岩山の麓木之本を

 通ることになります。記録されていませんが、

大岩山の清秀公の墓に詣でる目的があったと思われます。

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貞享三年(1686)丙寅 久通公 御年二十四歳

一、正月二十三日、若御奥様ニ御男子御誕生、

御名吉千代卜称シ奉ル

一、二月十九日、岡城御発駕、

二十二日、三佐御乗船

一、三月三日、摂州兵庫ヨリ御上陸、

四日、大坂御着、七日、伏見御着、

九日、京都御勤、且御所司代御伺済ニテ、

一條摂政冬経公並ニ政所様へ御出、

二十一日、江戸御着

一、二十八日、殿様御同道御登城、御参勤御礼仰セ上ラル、

御献上例ノ如シ、御台様へ白銀壱枚

一、四月五日、主膳様御袴着

一、六月二十七日、公方様御自身御能コレアリ御拝見、其席々ニ於テ

   御料理御頂戴

一、八月朔日、御献上御太刀馬代銀壱枚

一、十一月二十一日、御次男亀次郎吉千代様御更名

          御逝去 久恒公御譜ニ委シ

※御所司代御伺済 (京都所司代)お伺い済み

  所司代を通して公家に会っていたようです。

※一條摂政冬経  従一位関白・藤氏(藤原氏の)長者

天和2年(1682年)時の霊元天皇は、関白任命にあたって、

慣例を無視して右大臣の一條冬経を従一位関白・藤氏長者に

任命するという異例の人事を強行した。

以降、霊元朝は関白になれなかった近衛基熙と関白になった

一條冬経との間に、宮廷内での暗闘が始まった。ウィキペディア

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貞享二年(1685)乙丑 久通公 御年二十三歳

宇目町誌に郡廻りの記事がありますので紹介します。

郡廻りは領国の統治状況を視察するのが目的であったが、

次第に形式化、儀式化された。

しかしこの藩主の郡廻りは、宿泊所、休憩所、さらには案内、

道筋の掃除等農民にとって非常に負担であった。

宇目郷を巡視する場合は、

旗返峠御茶屋休憩 ― 小野市大庄屋宅休憩 ― 酒利宿泊 ―

重岡大庄屋宅休憩 ― 梓峠角石御茶屋休憩 ― 

水ケ谷御茶屋休憩 ― 城ノ越駕籠立 ― 重岡大庄屋宅休憩 ― 

小野市大庄屋宅休憩 ― 田原小庄屋宅休憩 ― 木浦宿泊 ― 

生木峠 ― 悪所内 ― 大峠越から大白谷又は宇田枝方面に

向かうのが慣例であった。

これらの御茶屋の設置が農民にとってどれくらい負担であったかを、

「藩政時代の雑事」には次のように述べている。

  御休憩所は先ず外囲をなし、内部に青松その他の庭木を四、五

  本植え、その上位に駕籠置き場所を設け、その脇に茶具の置き場を

作り、一隅に雪隠(せつちん)を設ける。そのほか随行役人、

在中役人等の詰所兼休息所を作る等なかなかの大仕掛けにて、

一か所の御茶屋場に人足二〇人を要し諸費用五両を要したりとある。

※雪隠(せつちん)トイレ

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貞享二年(1685)乙丑 久通公 御年二十三歳

一、八月二十五日、御郡廻トシテ御発駕、

中津留御泊、(三重町)

二十六日、酒利、(佐伯市宇目町)

二十七日、重岡、(佐伯市宇目町)

二十八日、木浦、(佐伯市宇目町)

二十九日、倉木 (竹田市神原)

一、九月朔日、陽目御泊、(竹田市荻町)

二日、中角、(竹田市長湯町)

三日、湯原、(竹田市長湯町)

四日、同所、

五日、御帰城

※御郡廻の行列は御年譜附録で見ると次のような

50人程の御供が付きます。

 行く先々の村人や庄屋は接待が大変だったようです。

一、八月二十五日、御郡廻ノ條

附録 記録ニ、

  御行列

   御持槍  弐(2)本   御長刀 壱(1)振

   御挟箱  弐(2)荷   御笠  壱(1)本

   御弓   壱(1)飾   御持筒 三(3)挺

   御具足  壱(1)荷   御馬  弐(2)疋

   御茶弁当 壱(1)荷

   御供   中川図書

   郡奉行  古田左源太

        丸山市郎右衛門

   先手物頭 広沢磯右衛門

          鉄砲拾挺

   御目附  曽我半七

  物頭者、御供者不仕、御泊々江先達而参、番所等相守、

  代官壱人宛御泊々江相詰ル

   惣御供  森田惣左衛門

        志水源兵衛    竹村玄永

        関 栄庵     児玉雲清

        森田平兵衛    太田新十郎

        加藤半之助    浦部成宇衛門

        戸森弥忠太    仲島八十郎

        吉村又三郎    仲島忠右衛門

        田能村平三郎   下村森右衛門

        志水与一郎

        御徒士 六人

        坊主 三人

※物頭者、御供者不仕、・・。

 物頭は、御供は仕らず、お泊まりお泊まりへ先に参り、

番所等を相守り、代官は1人ずつお泊まりお泊まりへ

詰めて警備をする。(以下次回)

 

 

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