
慶長13年(1608) 秀成公御年三十九歳
一、月日詳ナラス
性寿院様(中川清秀公の妻、秀成公の母)・
岐阜様(絲姫様の御事なり、
池田三左衛門輝政様、岐阜御居城によりて、かくのごとく
称し奉りしならん)(秀成公の姉)
小長様(秀成公の兄秀政の娘、
後、家老中川(古田)左馬允の妻)、
(3人が)大坂より御下向のとき、牛窓の湊に於テ、
松平(池田)武蔵守利隆様ヨリ御饗応コレアリ、
中川(熊田)大隅資政 御迎として岡出立、今津留まで至りし処、
近日御着船あるべき旨注進に付、御待受け申上、
そこより御供にて岡城御着
※昨年11月、虎姫の会の3人が中川清秀公の史跡取材に茨木を
訪問した際に、市内を案内してくれた奥田勝行さんが、
竹田キリシタン資料館開館に合わせて竹田に来ました。
竹田に来た目的の2番目は、
唐津市在住の中川家と中川清秀公との関連をさぐる事。
3番目は、中川秀政の娘・小長の画像と御墓を見つけることでした。



