
延宝九年(1681年)辛酉 久恒公 御年四十一歳
一、七月十四日、御巡見使 駒井次郎左衛門政勝様・
小田切喜兵衛直利様・水野小左衛門守重様
宇目御入込ミ、酒利御泊、
十五日、宇田枝、
十六日、竹田、
十七日、湯原、風雨ニ付、同所ニ二十日マテ御逗留、
二十一日、阿曽野ヨリ田野へ御移リ此節ハ老職御附添ナシ
※御巡見使 ①御料巡見使 天領(公儀御料地)や旗本知行所を監察
②諸国巡見使 全国の大名を監察する
寛文4年4月5日に全ての大名に対して領知朱印状が交付
宗門改が全ての領主に対して義務付けられた。
寛文7年閏2月に宗門改めの実施状況を確かめる
諸国巡見使の制が導入された。
従者の定員 1,000石以上は30名まで、1,500石以上は35名まで、
2,000石以上は40名まで、2,500石以上は45名まで。
※地元の接待 巡見使1人に最低でも30人の御供が付いてくるので、
岡藩のみならず、受け入れる先々の地元の人は応対が
大変だったようです。
※酒利(佐伯市宇目町千束)酒利は(岡藩の)代官所の所在地であり、
巡見使の常宿であった。(宇目町誌)
日向、豊後の通行に欠かせない地点だったようです。


