2017年03月

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正保四年(1647年)丁亥 久盛公 御年五十四歳

一、日詳ナラス 岡城御発駕 江戸御着月日詳ナラス

一、三月二十一日、兼テ豊後一国ノ絵図仕立差出スヘキ旨、

御当家並ニ稲葉右京亮信通様へ仰セ付置ルヽ処、

出来ス御差出ノ月日詳ナラス

一、四月十五日、御参勤御礼仰セ上ラル、

御献上黄金十両・御袷五

一、七月十五日、肥前長崎へ黒船着岸ニ付、

御使者菅久右衛門、小鉄砲之者二十人召連レ出立ス

一、二十四日、萩原御目附堀三石衛門直景様・平野清左衛門長利様

  長崎へ御越シ、今市御通行ニ付、御馳走役トシテ中川藤兵衛重治

  今市へ相詰ル

※長崎へ黒船着岸 年表で確認すると、この年1647年(正保4年)

ポルトガル船2隻、国交回復依頼に来航。徳川幕府は再びこれを拒否。

以後、ポルトガル船の来航が絶える。とあります。

※幕府は警備の為に、九州の諸大名に出動を命じたのでしょう。

※長崎に来航した木造の外国船が防水のためピッチを塗っていたので、

その色から黒船と呼ばれたようです。

※萩原御目附 松平忠直(一伯)が大分市津守に流罪になっていたため、

       大分市萩原に幕府の目附が常駐していた。

       島原の乱でも幕府の出先機関として働いています。

 

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正保四年(1647年)丁亥 久盛公 御年五十四歳

一、倉納中へ作前に年寄中より致方分 慥成ものを差遣、

作毛不致遅々様ニ可申付候事

一、倉納中 井手之儀、奉行之者共春罷出見及候而、

百姓隙之時分可申付事

一、蔵納方米・小豆、八月切ニ津出可申付事

一、代官申付候もの共、倉納之百姓高百石ニ付、

  壱ケ月人足壱人ツヽつかひ可申事

一、古にも如申渡、潰川成、巳来田地へ可成所有之者、

代官共より可申付候、

付り、新田ニ可成所随分見立可申事

右之條々令得其意、無滞様ニ可被申渡者也

     正保四年三月十三日

※慥成もの    確かなる者

※不致遅々様ニ  遅くならないように

※井手之儀    田畑に必要な水路の保持 

 平成の現在でも、春、地区総出で水路の保守管理をしています。

※6年の間に、60項目に及ぶ御定め書を出されても、

徹底は難しかったでしょう。

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正保四年(1647年)丁亥 久盛公 御年五十四歳

別ニ御定書一通

      定

  御印

一、城米入之儀、多少ニよらす百姓持来次第ニ納可申侯、

米持来百姓つかやかし申間敷候事

一、切米取兵粮渡候儀、倉奉行幷横目之もの出申刻、

賄之者罷出、倉より直ニ兵粮可相渡事

一、面々請取之算用聞申候者之名を、玄蕃方ニ書附置、

無油断算用聞候様ニさいそく可有事

一、依年 倉納中 内検申付候ハて不叶義侯者、

玄蕃ニ申渡し置候もの共を可指出候、

縦別用ニ掛り居候共、内検之間を指替可遣事

※つかやかし申間敷  やかましく申し間敷き?

つかやかし と云う言葉が竹田地区には残っていません。

※切米取 知行地を持たない家臣、禄の少ない家臣

 ほとんどの家臣は兵粮と云う名で、米を貰っていたようです。

※面々請取之算用聞申  請け取り に意味ありそうです。

 何か事情があって、別の人が貰いに来ることがあるのでしょう。

※あと読解不能。分れば教えて下さい。

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正保四年(1647年)丁亥 久盛公 御年五十四歳

一、倉納中 代官共無念ニいたし、むさと百姓為走候者、

可為曲事事

一、右ニ如申渡侯、

代官所中ニ而百姓多少之在所を見及、

百姓多所より人すくなき在所へ移置候者、

代官替り候共、其処可相付事

一、算用聞侯者共、何ニよらす音信礼物 取申間敷候事

右之條々令得其意、一ケ月ニ二度ツヽ 於寄合所相改、

何茂失念不仕候様ニ可被申渡者也

正保四年三月十三日   久盛御花押

      年寄中

※代官共無念ニ・・。 代官たちが細かい気遣いをしないから、

百姓が他領に逃げるのだ。ということでしょうか?

※耕作地は、太陽、土、水など地の利の良いところ。

 広い土地を与えられても、うれしくはなかった人も

 多かったでしょう。

※算用聞侯者共、・・。会計帳簿をつける人たちは・・。

 心付け、お礼を貰ってはいけない。

 寄合所で1か月に2度ずつチェックしなさい。

※年寄中 家老の下に居て、代官や奉行を経験した人たち、 

 実務を経験したベテランにあてた形式にしているようです。

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正保四年(1647年)丁亥 久盛公 御年五十四歳

一、在々縁付、又ハ男女養子之仕合、

此以後 その所之代官 給人へ不相断遺し申間敷候、

若 断なしに遣候者、

月番之年寄中へ代官 給人より相断、

其上を以 取返し可申侯、

但、此己前之儀ハ可為其分事

一、町人百姓 以下法度相背候者、

久盛 下着まて牢舎可申付事

一、在々百姓受入を相立、其百姓相走り候者、

請人書物之如く万事可申付候、

但、受入申分於在之ハ、令穿鑿可申付事

※その所之代官 給人  その土地を支配している代官 給人

 藩の直轄地には代官  知行地は家臣=給人

※久盛 下着まて・・。 久盛公が岡藩に帰るまで 

※百姓相走り候  百姓が他領に逃亡したならば

※穿鑿(せんさく)どこまでも原因を調べ上げること

 

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