
一、三月八日、岡城御発駕
一、四月十一日、江戸御着
※宿帳
嘉永六年(1853年)
同(三月)廿七日前日 御宿割上下五人御出 酒七合出ス
前晩 御宿割御着有之侯ハ、茨木梅林寺へ知らす
人足 夜分故 弐人分 弐百文請取事
参一、中川修理大夫様 御泊 中二・下一
西上刻御着 卯上刻御立
金弐両 下宿中大拂 下宿弐拾五軒
夕 弐拾八人 朝 弐拾八人 内壱人分拂 旅籠弐百廿文つゝ
梅林寺 宿西丁くら清へ取 来年よりは其心得
東丁之内二枚事 懃男三人 女三人 米夕壱斗弐升 朝八升五合
※藤堂家より中川家養子に入った久昭公は、
中川家の太祖中川清秀公の墓参は大事な勤めだったと
思われます。その墓参については次回記載します。



