
一、(5月)二十四日、公方様御上洛ニ付、
御使者中川玄蕃長房へ仰セ付ラレ、直二府内ヨリ出立、
公方様京都御立マテハ在京致シ、御進物差上 御用等承り、
若シ京都相変ノ儀モコレアラハ、府内へ度々注進敦スヘキ旨仰セ付ラル
一、六月二十六日、公方様へ府内ノ麻地酒御献上ニ付、
府内城ヨリ御書ヲ以テ、在京ノ中川玄蕃長房へ委細仰セ遣ハサル
一、七月十一日、公方様京都御着
一、閏七月朔日、今度 府内城 日根野織部正吉明様御拝領ニ付、
御引渡シァルヘキ旨御奉書
以上
一筆令啓候、府内之城日根野織部正被
仰付候、依之為御目附庄田小左衛門被遣使、織部
参着次第、城中可被相渡侯、然者采女上知行
弐万石、織部正ニ被下候、可被渡之候、将又武具之
事、別紙目録之通是又被下候、可被得其意候、
委細小左衛門可為演説侯、恐々謹言
閏七月朔日 酒井讃岐守忠勝花押
土井大炊頭利勝花押
中川内膳正殿
※麻地酒御献上・・。
麻地酒は全国的にも知られていた、歴史のある酒だったようです。
日出のある寺の小坊主が甘酒をこっそり飲んで、残りを壺に入れて
麻畑に埋めて隠していたら、翌年、素晴らしい味のお酒になっていた。
という話が日出に残っているようです。
※この余談の続き、次回紹介。
※日根野織部正吉明・下野壬生1万2000石藩主。
大坂の陣では徳川方に従い功を挙げた。
その後、日光東照宮の造営など江戸幕府のために尽力した。
それらの忠勤が認められて豊後府内2万石に加増移封された。
初瀬井路の開削などにより現在でも地域住民により毎年顕彰されている。
(初瀬井路、現在の大分県由布市庄内町大字櫟木より大分市東院まで
の間、約16kmが開削され「初瀬川」と呼ばれている。(ウィキペディア)



