
寛永十一年(1634)甲戊 久盛公 御年四十一歳
然ルニ伊豆 如何心得違ケルカ、
一伯様御内 大山五左衛門・牧五兵衛方へ、
右病人ノ儀ニ付書状遣ハシ、両人ヨリモ返書コレアル旨、
一伯様 御聴 御驚ナサレ、先達テ療治御頼ノ時卜違ヒ、
当時ハ日根野様御受持ノコトナレハ、
伊豆へ通路ノ儀 公儀ニ対セラレ相済難キ由ニテ、
右取次ノ者 搦メ置レ、其旨 織部正様並二両御目附へ御届ナサル、
是ニ依テ 右ノ御方々御対談ニテ、大山・牧両人日根野様ヨリ召篭ラレ、
今日 右御三人ヨリ御使者ヲ以テ御当家へ仰セ越サレ、
早速伊豆召篭ラル
一、二十日、伊豆儀二付、府内へ中川玄蕃長房差遣ハサレ、
日根野様並二両御目附へ御掛合、御書遣ハサル
※一泊様御付きの女性の腫物治療と池田伊豆のこと
①治療後の様子を聞く手紙を大山、牧の両氏に出したこと。
②治療後の経過を池田伊豆に手紙で知らせたこと。
③一泊様の対応受持ちは日根野織部正になっていること。
④一伯様監視の2人の目附の目を盗んで手紙のやり取りをしたこと。
⑤一伯様は手紙のやり取りを知らなかったこと。
⑥手紙の取次をした者がいたこと。
※まとめてみると、池田伊豆の「如何なる心得違いか」ですべてを
納めていますが、不自然な点がいくつかあります。
①池田伊豆が一方的に手紙を出しても、厳重な監視下にある屋敷内に
手紙が届くはずがない。
②宛先人も書けない。③差出人も書けない。
④竹田から手紙を運ぶ者の人選。
⑤どのようにして⑥誰に渡すか、など。
※池田伊豆の「如何なる心得違いか」では済まされないことを
感じます。



